busy はなぜ「ブジー」と発音しないのか
英語におけるスペリングと発音の乖離の歴史的背景
受講生の皆さん、こんにちは。
今日は、いよいよなぜ英語ではスペリング(綴り)と発音がしばしば一致しないのかという問題を、歴史的経緯に基づいて説明します。
この問題には複数の要因が絡んでいますが、特に重要な四つを紹介します。
① 種々の方言があったのが原因
中世から近世初期にかけて、文字の形や発音の標準化を意識していたのは、ごく限られた知識階級(literate elite)だけでした。というのも、文字を書くのは大学や修道院の聖職者、貴族階級の人々に過ぎず、一般庶民の識字率はごくわずか(数%程度)だったからです。
したがって、庶民にとって「文字と発音が一致しているかどうか」などは、社会的にほとんど問題にならなかったのです。
また、当時は通信や印刷の発達以前であり、地域ごとに言語習慣が大きく異なるため、知識人同士でも意見を統一することは困難でした。
実際、15〜16世紀にかけて「発音と綴りを統一しよう」とする試みはありましたが、ことごとく失敗しています。
たとえば、busy(ビジー)という単語は、北部方言では /ˈbʊzi/(ブジー)、南部方言では /ˈbɪzi/(ビジー)と発音されていました。しかし、綴りの標準化を進める中で、書記(scribes)たちは北部発音を反映した “u” を採用したのです。
その後、ロンドンを中心とする南部方言が政治・文化の主流となり、発音は /ˈbɪzi/ に統一されましたが、綴りはすでに固定化していたため修正されず、“busy” の “u” が “i” 音を表すという不一致が生まれました。同類には、build や guilt などがあります。
② 子音の脱落(発音変化)
次に、発音変化によって綴りが取り残されたケースがあります。
代表的なのが knife(ナイフ) 型です。
古英語では 「クニーフ」と発音され、語頭の k も明確に発音されていました。
しかし、中英語期以降、語頭子音群の簡略化が進み、k, g, h などが脱落する音変化が生じます。
こうして発音は「ナイフ」となりましたが、書き言葉では古い形 knife がそのまま残りました。
このような綴りと発音の乖離は、音声変化の速度が文字体系の変化に追いつかなかったことに起因します。
③ 大母音推移(The Great Vowel Shift)
三つ目の要因は、大母音推移(Great Vowel Shift)と呼ばれる、15世紀から17世紀にかけての英語史上最大の発音変化です。この時期、英語の長母音(long vowels)が体系的に上昇・二重母音化する現象が起こりました。
たとえば、
- time は中英語では「ティーメ(/tiːmə/)」、現代英語では「タイム」
- name は「ナーメ(/naːmə/)」から「ネイム」
- house は「フース(/huːs/)」から「ハウス」
のように、母音の発音が大きく変化しました。ところが、綴りは印刷技術の普及(15世紀後半)によってほぼ固定化してしまっていました。「今更変えろと言われたって」という感じです。ラジオもテレビもネットもない時代です。お上の指示など届くはずがありません。
このため、印刷後の発音変化を綴りが反映できず、今日の英語に見られる「読みにくい綴り」の多くは、この大母音推移が原因となっています。
言い換えれば、英語の綴りは15世紀の音を今も記録し続けており、現代の発音とは約500年のズレが生じているということです。
④ 大陸文化への憧憬と語源意識による綴りの改変
もう一つイギリスらしいものに、語源意識(etymological respelling)による綴りの改変が影響した単語があります。
中世末期からルネサンス期にかけて、英語の知識人たちはフランス語やラテン語の文化に強い憧れがあり、「古典的に見える」綴りを意図的に採用する傾向がありました。
たとえば、debt(負債)はラテン語 debitum に由来しますが、中世英語では発音通り“dett” と書いていました。ところが、語源の正統性を示すために、知識人たちはわざわざ “b” を加えて debt に書き換えたのです。「どうせ庶民は文字は読めないんだし、この方が賢そうに見えてカッコいいよね」という感じです。receipt, doubt, subtle なども同類です。大陸文化への憧れは、日本の知識層が漢語に憧れたのに似ています。
まとめ
英語の綴りと発音が一致しない主な理由は、以下の四点に整理できます。
- 方言差
- 子音の脱落
- 大母音推移
- 大陸文化への憧れ
このように、英語のスペリングは単なる音の記録ではなく社会的・文化的・歴史的背景を反映した「言語文化遺産」として今日まで受け継がれています。
