国籍とは
受講生の皆さん、おはようございます。
今日はいい記事の紹介です。今日は「国籍とは何か」ということについて考えてみたいと思います。
ある投稿サイトで次のような質問がありました。
Question「日本の皆さんに質問があります。中国人や韓国人について、日本人はどのような印象や意見を持っていますか?私は日本人で、日本人であることに誇りを持っています」
これに対してアメリカ在住の日本人のAさんから回答がありました。
Answer「とても難しく、そして大切な質問だと思います。
まず正直に言えば、私の中にも中国や韓国に対していろいろな感情があります。
ニュースや歴史問題、政治的な対立を見れば、不満や距離感を覚える人がいるのも事実でしょう。
日本に限らず、どの国でも起きていることです。
ただ一つだけ、私がはっきり言えることがあります。
「国」で人を語るのは、あまりにも雑です。
なぜなら、私の人生がそれを完全に否定しているからです。
私の妻は韓国人です。息子はアメリカ人です。そして今、アメリカで「ベストフレンド」と呼べる存在の一人は台湾人です。
さらに言えば、子どもが参加しているボーイスカウトのチームでは、保護者の多くが中国から来た方々です。一緒に仕事をする方々の半数はフィリピン人です。
テニス仲間まで含めると、国籍なんて数え切れません。
もし本当に「中国人はこう」「韓国人はこう」と国で人を判断する世界に生きていたら、私はこの人たちと出会うことも、仲良くなることもなかったでしょう。
でも実際に関わってみると、当たり前ですが、みんなまったく違う人間です。
冗談が好きな人。
仕事に対してとても真面目な人。
家族思いの人。
子どもたちのことを本気で大切にしている人。
そこには「中国人らしさ」や「韓国人らしさ」という一言で片づけられるものは、ほとんどありません。
そこにいるのは、それぞれの人生を持った個としての人間だけです。
だから私はよく思います。
国で人をまとめて語るのは、あまりにも乱暴だ、と。
もちろん、国と国の関係について意見を持つことはあります。
政治に対して言いたいこともあります。
歴史や外交について議論することも大切でしょう。
でも、それと「目の前にいる一人の人間」を同じ箱に入れてしまうのは、まったく別の話です。
よく「でも現実は違うでしょう」と言う人がいます。
「税関だって国籍によってチェックの厳しさが違うじゃないか。だったら人を国で判断するのは当然だろう」
…
一見もっともらしく聞こえます。
でも、私はその論理は決定的に間違っていると思っています。
税関というのは国家のシステムです。
統計やリスク管理で動く場所です。
密輸や犯罪を防ぐために、国籍や渡航履歴などのデータを使うのは制度として理解できます。
つまり、税関は「国家の管理の話」です。
人間同士の関係の話ではありません。
ここを混同した瞬間、人は簡単に乱暴になります。
現実の世界では、私たちはもっと複雑な関係の中で生きています。
家族がいて、友人がいて、同僚がいて、子どもたちがいて、地域のコミュニティがあります。
この世界では「国籍」よりも、「どんな人か」の方がずっと大切です。
だからもし、日本人を代表して一言言うとしたら、私はこう言いたいです。
私は日本人として、日本という国に誇りを持っています。
でも同時に、その誇りは「国籍で人を判断すること」から生まれるものではありません。
むしろ逆です。
国籍に関係なく、
文化が違っても、
言葉が完璧じゃなくても、
目の前の人を「一人の人間」として見る。
それができること。
少なくとも、私はそういう日本人でいたいと思っています。
だから質問者様。
あなたが韓国人であろうと、中国人であろうと、何人であろうと。
私は、「あなたという一人の人間」を大切に扱います。
それが私の日本人としての誇りです。
以上です。」
ここからは私の意見です。私は同上の意見に全く賛成です。例えば、皆さんが学校のある学年の1組にいたとします。体育で球技などした後、2組の奴らは乱暴だ。怖いよね、とか言い合ったりします。でも個々を見るとそんなことはないはずです。放課後の部活ではクラスは解体され、帰り道の親友は2組の子だったりします。確かに学級費とか役員とかはクラス単位の構成になっていますが、クラスが個々人の人格のラベルにはなりません。
